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東京高等裁判所 昭和32年(ラ)609号 決定

抗告人 高橋太作

主文

本件抗告を棄却する。

抗告費用は抗告人の負担とする。

理由

抗告人は、「原決定を取り消す。東京地方裁判所昭和三二年(ル)第一四五三号事件の債権差押命令を取り消す。右事件の債権差押命令の申請を却下する。」との裁判を求め、その理由として別紙抗告理由書並びに追加抗告理由書記載のとおり主張した。

抗告理由書記載の抗告理由第一、二点並びに追加抗告理由書記載の抗告理由について。

労働基準法第二四条は、抗告人主張のように、使用者が労働者に対して支払わなければならない賃金の全額を直接労働者に対し支払わなければならないことを規定しているが、それは使用者が労働者に対して支払わなければならない賃料は、労働者の生活の糧となることを考慮して定めたのに止まつて、労働者の債権者が民事訴訟法第六一八条所定の制限の範囲外の賃金までをも差し押えることを禁止した趣旨の規定と解することはできない。労働者であるからといつて、民事訴訟法第六一八条の差押制限を拡張して賃金全額について強制執行ができないと解さなければならない実質的な理由は現在の法体系の下では考えられないばかりでなく、労働者の災害による補償を受ける権利については、労働基準法は特に明文の規定を設け、第八三条第二項において「補償を受ける権利は、これを譲渡し、又は差し押えてはならない。」旨規定しているのに、労働賃金についてはこのような規定を設けていないことに照し合わせても、上記解釈の正当なことは容易に首肯しうるところである。右のような解釈は、何等憲法第二五条第二七条第二八条等の規定に違反するものでなく、抗告人の主張は抗告人独自の見解であつて採用できない。

抗告理由書記載の抗告理由第三点について。

本件差押命令の対象とされた債権のうち、債務者(抗告人)が第三債務者株式会社松坂屋に対する退職金のうち四分の一の未払留保分金二十万円の債権が抗告人主張のとおり実在しないものであることは、抗告人提出の疏第二号証の証明書によつて明らかである。しかしながら、債権差押命令の対象である債権が実在しないならば、債権者の右債権に対する強制執行は執行不能に帰するだけのことであつて、債務者としてはかかる差押命令によつて何等の権利を害せられるものではないから、何等痛痒を感じない債務者としてはかかる差押命令に対し執行方法に関する異議の申立によりこれを争う利益を欠くものといわなければならない。従つて抗告人の主張は適法な抗告理由として採用することができない。

以上のとおりであるから、本件抗告は理由なしとして棄却することとし主文のとおり決定する。

(裁判官 村松俊夫 伊藤顕信 小河八十次)

(別紙)抗告理由書

第一点原決定は憲法第二十七条、第二十五条、労働基準法第一条、第二十四条の解釈を誤り、法則を不当に適用した失当があります。憲法第二十七条は我国従来の労働立法(例えば工場法)が労働そのものゝ保護と救恤的であつたのに対し、近代的性格を帯有する社会政策的な労働基準の法定を宣言し、勤労の権利、労働条件の基準を保障し、憲法第二十五条と相俟つて労働者の基本的な経済権及生活権を確立したものであります。(註解日本憲法上巻二六八頁)

労働基準法は此の憲法の保障に基づいて制定せられた我国に於ける国民中約六割に達する多数労働者の生活権を護る為めの立法であることは同法第一条に「労働基準として定められているものは労働者が人たるに値する生活を営むため必要を充す最低のものである」と明定してあるによつて明であり、労働者は憲法第二十五条の宣言する生活権の最低線を同法に依つて具体的に保護せられるものであります。(宮沢教授日本憲法二七三頁)

故に若し此の労働者経済基本権の重要部分を構成する賃金が任意譲渡され、或は賃金の一部を他に分奪せられることになれば之れに因つて労働者は法の保障する最低生活を充し得なくなり、生存の脅威にさらされることは明白の事理であつて憲法の労働権の保障も生活権の保障も画餅に帰するものであります。戦前此のような立法のなかつた時代、大審院判例の評釈(昭和十年度判例民事法五〇五頁)に菊井教授は次の如く述べています。

「請求権の成立存続が其の権利者たるべき者、換言すれば其の資格一身を離れて無意味なることを本体とすること、及びかゝる状態が法律上の意味を持つこと、即ち所属員のつゝましい生活の保障、その生存の脅威の排除を目的とする客観的な社会制度に伴うものなのである、私はかゝる範囲に於て判例の如く一身専属権を認め、受給権者自身の処分を奪うと共にその債権者の強制執行からの脅威を護ることは弊害も少く、且つ之れに相当する社会立法の著しく欠缺せる我々の現在の状態を顧みるときは其の必要特に大なるを覚ゆるのである」と

洵に其の通りであります。

斯の故に労働基準法第二十四条は「賃金の全額を本人に対し直接支払わなければならない」ことを定め以て自身の一切の処分権を奪うと共に、他人からの強制執行等の脅威を護り、国家目的達成上最優先的な必要性を持つ租税等法定せられているが控除の外は本人以外の者に受領をなさしめず因つて其の最低の生活を保護したものであります。

蓋し賃金は身分身体が其の内容に重要な関係を有し労働者其の一身を離れて存在しないものであつて、又多分に其の勤労を可能ならしめる家庭に於ける人々の労務が其の労働者の労務に内在し、其の労働の対償は之等の人々の扶養的性質を具有する理に出ずるものであります。

即ち同法に所謂「賃金を通貨で全額を直接労働者に支払わなければならない」とあるのは、「本人以外の者に渡すことは出来ない、云替えれば本人以外の者は受取れない、金貸し等が代理人となつて来てもこれを受取ることは出来ない」と云う法意であつて、賃金それ自体の譲渡性をなくし、経済的に弱い労働者の収入、之れによつてなす生活を譲つている法規なのであります。

故に同法第一条に徴しても原決定説示の如く之れが、「単に使用者と労働者間の支払関係を規定したもの」でないことは疑なく、更に上記立法理由からはこのことが一層明白であります。

即ち原決定は憲法第二十七条、第二十五条に違背し、且つ法律を不当に適用して抗告人の異議を斥けた失当があります。

第二点原決定は「賃金に付いては労働基準法第八十三条の如き規定のない以上民事訴訟法に依つて差押は可能である」旨説示し抗告人の異議を排斥しているのであります。

けれども労働基準法第八十三条は災害補償を受ける権利に就て定めた規定であつて、災害補償は無過失損害賠償責任に類する規定、賃金は労働者の労働の対価であるが故に災害補償の為めの給付金員は賃金でないことは疑なく、而して其の補償の受領権者も同法第七十九条、第八十条の如く勤労者本人以外の者である場合が存するが故に同法第二十四条に依つては其の保護を完うし得ない為め特に第八十三条に之れを明定したものであります。

そして既に賃金に付いては同法は第二十四条を以て「通貨で直接労働者に其の全額を支払わなければならない」と規定しているを以て、第三者に於てその賃金を取得し、受領し得ないことは当然であつて、重ねて第八十三条の如き規定を設けるの蛇足を要しないのであります。原決定は此の法則の誤解に因由して下されています。

又「右第二十四条は単に使用者と労働者との間の関係を定めたに過ぎない」と解するならば第三者に対し賃金債権を譲渡することに依つて、同条の禁止している「通貨払、全額払」は容易く身を交され、且つ折角保護した労働者の収入は金融業者等の手中に事前におちいり易く、其の生活は次第に困窮することになり、労働力が失われ勝になることは必然であつて、同法は制定の目的の大部分を失うに至るものであります。かゝる解釈は全く法典に根拠を持たない謬見であつて、同法が単に使用者と労働者の関係を定めた法則でないことは甚だ明であります。

第三点執行処分が不当であるときは利害関係者は該処分の取消を求め得ることは民事訴訟第五四四条、第五五八条に明であります。本件に於て債権差押命令に債権として表示する中「債務者の第三者に対する退職金の内四分の一の未払留保分金弐拾万円也」が存在しないことは第二号証の疏明に明白であるが故に抗告人は本件異議を以て其の取消をも求めたのであります。

之れに対し原決定は「債権差押に付いては執行裁判所は債権者及び第三債務者を審訊しないで命令を発し債権の存在及数額を審査する義務はない、被差押債権がなければ執行は不能であつて効力を生じない、債務者第三債務者は之れによつて何等の拘束も受けないから取消の主張は理由がない」と説明して本件取消の申立を斥けています。

けれども執行不能の債権差押にせよ之れを取消さない以上、裁判所の下した決定は決定として存在しているものであつて債権者は何時でも之れが取消を求め得ることは疑を容れない法理に属し、利害関係人である債務者に於ても其の債権の不存在を理由として該決定の取消を求め得ざる何等の理由なきを以て(加藤正治教授判例民事法評釈昭和二年度四七一頁)債務者から其の債権の不存在を疏明して之れが取消を求めた場合裁判所は其の取消をなすべき責務あるものであります。凡そ国家権力を行使するに当り敬虔且つ慎重でなければならないことは敢て贅言を俟たない事理であつて、決定の当時其の執行処分に手落がなかつたとしても結果に於て其の存立の必要を失い、実質上効力を保持し得ないものを無用に存続せしめて置くべきものでなく、国家機関としては正義公明の観点から進んで之れを取消すが至当であつて、其の取消すべき理由及証明を進んで知るを得ない状況下に於ても、当事者から理由を明にして其の取消を要請して来たときにはこれが取消に吝かであつてはならない筈であると思考します。

原決定は以上の失当があります。

追加抗告理由書

第一点憲法第二十七条の保障も第二十八条宣言も要は賃金の一点に帰するものであります。

或は憲法第二十七条の勤労の権利は「国民の一員として文化的な生活を営む憲法第二十五条の権利を実現する為め唯一の生活資料である労働力を利用する権利を保障されたものである(国家学会編、新憲法の研究八六頁我妻教授)と云い、又所謂労働三権(団結、交渉、争議)は「憲法上の自由権と区別し、労働者の基本権として経済的基本権、生存的基本権と称する法的意義がある(石井法律学全集労働法総論三一六頁以下)等説明しているも之等が、講学上の概念として誤る所はないとしても、凡そ賃金の受け取れない就労の如きは労働者にとつては全く無意味であることは言を俟たない理であつて、労働者の経済的基本権、生存的基本権と云われる「勤労の権利」も「労働三権」も究極は労働の対償を完全に自ら受領し之れを其の生活の資に当て得るに在るものであり、之れを別にして労働三権も勤労の権利の保障も全く意味をなさないことは明であります。蓋し賃金が主で之等は賃金安全ならしめる手段方法に過ぎないからであります。

故に賃金取得権こそは右憲法の宣言及これを受けて制定され、表裏の関係をなす附属の法典である労働基準法(上記新憲法の研究一四三頁石川吉右衛門)の中核であつて、特に同法第一条、第二十四条、第五十九条は右憲法の宣言を具体的に保障する主点をなし、賃金は必ず労働者本人が受領して生活の資となつて之れを潤し、其受領以前に他に流出することのない安定性を確保する働をしているものであります。

斯く解するに非ざれば憲法の労働権の保障は終に何等の実質的意義を持たない空文に終始するに至るからであります。

故に賃金受領権に譲渡性あることを前提として労働者本人の受領前之が処分をなし得るものと解することは憲法に違背するものであります。

第二点労働基準法第二十四条の規定は賃金の譲渡性を否定する法意であると解すべき同法上の根拠は以上述べた憲法上の理由及同法第一条並に右本条の外次の通りであります。

1.労働基準法第百二十条の罰則は、若し賃金に譲渡性を帯有するものとすれば、同一賃金を労働者本人が受領する場合には「直接払、全額払、通貨払」に違反するに於ては、同罰条を以て処断せられ、然らずして之れを譲渡して第三者が其受領権を取得した場合には「右三払」に総て違反しても何等右罰条の対象とはならないとの結果となるものであつて、斯の如く同一賃金に対する、責任能力者の同一行為が人に依つて其適用に逕庭を生ずることは只に不合理であり、滑稽でさえあるばかりでなく、そのように区別して適用するよう立法された何等の根拠も、そうすべき法典上の根拠も全く存在しないものであります。

而して賃金を代理人に依つて受領し得ないことは既に岡山地方裁判所昭和二十四年(ヨ)第六三号、同年十一月九日決定、労働関係資料一三七頁等の判例にも示されていて、若しも賃金受領権を譲渡すること迄出来るとすれば、之れを本人が代理人を以て受領する行為を禁止し、不能とすべき理由は到底理解し得ない結果となります。

2.次に労働基準法第五十九条は「未成年者の労働賃金は民法の規定に拘らず本人が独立して受領が出来、法定代理人である親権者後見人と雖も本人に代つて受領することの出来ない」旨を規定しています。

若し賃金受領権に譲渡性があるならば、このような禁止規定は何を意味するか全く理解し得ないものであつて、此規定は第二十四条と共に賃金受領の権利は労働者本人の一身専属的権利であつて、譲渡性も代理受領性すらもないと解すべき重要な根拠をなすものであります。

思うにこの近代的性格は藤本武著賃金(東洋書館出版)一四七頁以下の

「労働契約は一個の独立した人間としての労働者が結んだものであつて其対価を自ら受取る権利を持つている。若し此権利が失われるならば彼は独立の人格者ではない、他の者に隷属した奴隷に過ぎない、近代的な雇傭関係が確立されていない場合にはかような不合理な支払方法がとられた」

と云う長い間の不当な、そして気の毒な生活経過を辿つて憲法の宣言となり確立されるに到つた事情に鑑みるときは譲渡の出来ない一身専属権であるべきは一層明瞭であると考えます。

左れば譲渡性を有するが如く解する本件差押執行は不法たるを免れないものと思料致します。

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